託された命の糸 自分のものじゃない
子どもたち、人は何のために生きるのでしょう。生きなくてはならないのでしょう。私の元には、「先生、自分の命は自分のもの、死んでもいいよね」「自分の人生は自分のもの、どう生きようと勝手だよね」−こういう内容のメールがたくさん来ます。私は、その一つひとつに、ていねいに答えています。「水谷は哀(かな)しいです。でも、ひとつだけ教えておきます。君の命は君のものではありません。君の人生も君のものではありません。君に託された、預けられたものですよ。人のために何かしてごらん。きっとわかるよ」と。
子どもたち、君たちが今生きているということは、人類の誕生から、いや生命がこの地球上に誕生してから、1度も絶えることなく、命の糸が絶えることなくつながれてきたということです。君たちのおじいさん、おばあさん、先祖の誰一人が命を落としても、君たちは、今存在できません。でも、子どもたち、歴史を思い起こしてください。君たちの命の糸を守るためにどれだけ多くの人たちが、大人だけでなく子どもたちまでもが、命を捨ててまで守ってくれたかを。あの広島や長崎での原子爆弾の惨禍の中で、多くのお母さんたちが、自らの背を炎に焼かれながらも、せめてこの子の命はと、わが子を抱きしめその命を守り亡くなっていきました。苦しかったでしょう。無念だったでしょう。わが子と寄り添い遂げることなく命を落とすこと。子どもたち、君たちの命は、人類の歴史の中で、君たちの命の糸を守るために無念の死を遂げた数え切れないほど多くの人たちから、託された、預けられた命なのです。「この命の糸を絶やさないで。次の命に必ずつないで」と。
今から4年前、京都の21歳の女性からメールが来ました。彼女は小中学校時代のいじめから、6年間引きこもりをしていました。「死にたいです。こんなにつらいのになぜ生きなくてはならないのですか」。私は、彼女に「人のために何かしてごらん。わかるよ」と返事を出しました。彼女は、お隣に住むおばあちゃんのゴミ捨ての手伝いをはじめました。そして、知り合いの老人ホームで働き始めました。しばらくして、とびっきりの嬉(うれ)しいメールが届きました。「先生、生きててよかった。今日私の担当のおばあちゃんがうんちをおもらしした。私が、1人でシャワーできれいにしてあげていたら、おばあちゃん、わたしのこと拝みながら、ありがと、ありがと…。私も泣いちゃった。先生、私わかった。人は何のために生きるのか、生きなくてはならないのか。だれかを幸せにするためになんだよね」。私は、彼女にこう返事を返しました。「その通り。君は、もう水谷の学校は卒業だよ」。昨年の彼女からの年賀状には、すてきな彼が一緒に写っていました。
-------------------------------------------(2008年1月14日)---------------
「なぜ生きなきゃいけないのか?」
「なぜ死んではいけないのか?」
これに明確の回答できる大人がどれくらいいるのでしょうか?ただ単に、「死ぬのが怖いから生きてる」人もいるのかもしれません。
『君たちの命は、人類の歴史の中で、君たちの命の糸を守るために無念の死を遂げた数え切れないほど多くの人たちから、託された、預けられた命』
この思想が広まれば、自殺も通り魔殺人も今より減るでしょう。人の命を奪う権利は誰にもないのです。
アフリカや中近東で、罪もない人々がテロや虐殺で命を失っています。自分の欲望の為に人を殺す・・・これが間違いだ!と言い切れる人間は「賢人」と称していいでしょう。
「人を殺せる人間」彼らこそ真の「精神障害者」なのです。
水谷先生の思想がどうか広まります様に・・・。
安心して死ねる事は安心して生きる事
今、日本では介護の現場が崩壊しようとしています。昨年の離職率が20%を超えているのです。その理由は3K(きつい、給料が安い、結婚できない)だからなんだそうです。
はっきり言って、介護の現場は介護士やヘルパーさんたちの「自己犠牲」の上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。
そんな環境の中にあっても、献身的に介護事業をされてる方もいるのです。彼女をそこまでさせる原動力は、一体何なのでしょうか?
元々彼女は普通の主婦でした。夫と子供に恵まれ、別の仕事を持ち、数千万は稼いでいたそうです。
順風満帆に見えた彼女の人生にも、少しずつ狂い始めます。ある心配事がきっかけで夜眠れなくなり、睡眠薬に頼るようになります。それでも寝れない彼女は次第に酒を飲むようになり、やがて離婚、一人ぼっちになってしまうのです。
失ってみて初めて解る幸せの意味。社会的地位やお金があっても、幸せではなかったことに気付いたのです。
やがて彼女は介護の仕事に就きます。そこで、「安心して死ねるからこそ、安心して生きることができる」ということに気付いたのです。
経験をつんだ彼女は、老人介護施設「なごみの里」を設立します。そこに入居したお年寄りは、「ここで最後を迎えたい」というほどです。
彼女の想いは、若いスタッフにも伝わり、また、講演を通して感動した若い人たちが、彼女に相談にきたりしています。
10年振りにあった実の娘も、人間として変わった母親を見てビックリしてるようでした。
自分の人生に振り回されることなく、介護を通して「死と向き合うことの大切さ」を知り、「安心して生きていける」環境を作ろうとするその姿。そんな無名の彼女を、私は讃えたいのです。
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はっきり言って、介護の現場は介護士やヘルパーさんたちの「自己犠牲」の上に成り立っていると言っても過言ではないでしょう。
そんな環境の中にあっても、献身的に介護事業をされてる方もいるのです。彼女をそこまでさせる原動力は、一体何なのでしょうか?
元々彼女は普通の主婦でした。夫と子供に恵まれ、別の仕事を持ち、数千万は稼いでいたそうです。
順風満帆に見えた彼女の人生にも、少しずつ狂い始めます。ある心配事がきっかけで夜眠れなくなり、睡眠薬に頼るようになります。それでも寝れない彼女は次第に酒を飲むようになり、やがて離婚、一人ぼっちになってしまうのです。
失ってみて初めて解る幸せの意味。社会的地位やお金があっても、幸せではなかったことに気付いたのです。
やがて彼女は介護の仕事に就きます。そこで、「安心して死ねるからこそ、安心して生きることができる」ということに気付いたのです。
経験をつんだ彼女は、老人介護施設「なごみの里」を設立します。そこに入居したお年寄りは、「ここで最後を迎えたい」というほどです。
彼女の想いは、若いスタッフにも伝わり、また、講演を通して感動した若い人たちが、彼女に相談にきたりしています。
10年振りにあった実の娘も、人間として変わった母親を見てビックリしてるようでした。
自分の人生に振り回されることなく、介護を通して「死と向き合うことの大切さ」を知り、「安心して生きていける」環境を作ろうとするその姿。そんな無名の彼女を、私は讃えたいのです。
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「なぜ死んではいけないのか」
本日、私のブログにアクセスしてきた中に、「なぜ死んではいけないのか」と検索されていた方がいらっしゃいました。
私はその方の状況が解りませんので、どんなお悩みを抱え、どんな状況で生きてらっしゃるのかさえ解りません。
またこのブログを見て下さるのかどうかも解りませんが、もし見て下さるのならば私も真剣に、一緒に考えてみたいと思います。
実は私には「自殺未遂」の経験があります。芸能人の窪塚洋介が飛び降り自殺を図った後ぐらいでした。その衝動は発作的に襲ってきたのです。マンションの6階にいた時、突然身を乗り出そうとしていました。
しかし、その時頭の中をよぎったのは、「今ここで飛び降りたら、残りの新聞誰が配るんだ?」でした。配達の途中だったのです。結局飛び降りることを止め、残りの新聞を配ったのですが、今でもその場所に来た時には、用心しています。
「飛び降り自殺」のニュースが流れると、必ず連鎖反応的に別の人がつられて自殺を図ります。迷ってる時にほかの人が決断したから、自分もその道を選んでしまうのでしょう。悲しいことです。
「なぜ死んではいけないのか?」
それはこの世であなたがやるべき「使命」がまだ残っているからです。「私の『使命』って何だ?」って思っているうちは、自殺してはいけません。なぜならあなたはまだ自分の使命を果たしていないからです。
この世に生まれてきたのはちゃんと理由があるのです。
その理由すら解らないのに、「死んでいいのか」判断できるはずがありません。
この世には「障害者の方」がいらっしゃいますよね。健常者の感覚だと、自殺してもおかしくありません。でも必死に生きてます。
癌や難病に侵された人もいます。でも彼ら(彼女ら)も1日でも生きようと必死です。
300万位の借金で自殺しようとした人がいました。でもその人は自殺する事を止めたのです。それは何故か?
止めた人には、「1億の借金があった」のです。しかし、彼は生きぬいて完済したのです。その話を聞いた300万の借金の人は、死ぬのが馬鹿らしくなったのでしょう。今、その人の会社で働いています。
あなたの目の前にある悩みは、今のあなたにとってはきっと大きな悩みでしょう。しかし、10年後のあなたにとって、まだ大きな悩みだと思いますか?あなたが小さい時抱えていた悩みって、もう解決していませんか?
「なぜ死んではいけないのか?」
という問いを発しなくても、「いずれ一度は死ななければならない」のです。いやでもいずれは死ぬんですから、今は生きて見ませんか?
あなたが苦しんできたことで、きっと同じ苦しみを味わってきた人の力になれるはずです。それは、あなたが生きていないと出来ないことなのです。
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死んだら負け、生きてたら勝ち
新学期を迎えて 友人づくりは焦らずに
子どもたち、ついに新学期が始まりましたね。中学や高校に進学した子どもたちは、新しい学校で新たな3年間を迎えることになりますね。進級した子どもたちも、新しいクラスで新しいメンバーで1年をはじめることになります。ほとんどの子どもたちは、たくさんの期待でこころがいっぱいだと思います。新しい先生たちとの出会い、新しい友だちとの出会い…。中には、ちょっと不安を抱えている人もいるかもしれません。
私は、教員時代、新学期がとっても好きでした。どんな子どもたちとの出会いがあるのか、またどんな新しい先生がたとの出会いがあるのか。いつも、1年の中で最もこころがはずむ時でした。
子どもたち、特に昨年度いじめに苦しんだり、学校に通えなくてつらかった子どもたちにとっては、新学期は、希望の時だと思います。新しい仲間や先生と新しい学校生活を、楽しい幸せな学校生活をはじめることができるのではないか。そう夢を持っている子どもたちも多いと思います。私のかかわっている数多くの、いじめや不登校に苦しむ子どもたちも、この新学期を待っていました。やり直しの復活のきっかけとしようと。
新学期を迎える子どもたちに、私から忠告があります。春は、こころがとても活発になる季節です。また、新しい出会いは、何か人のこころをはずませます。そして、どうしても活発に動いてしまいます。この理由は、わかります。長い寒い冬の間、家や部屋に閉じこもっていることが多かったのですから、春になれば飛び回りたくなる。無理ありません。
特に、いじめや不登校の経験のある子どもたちほど、新しい環境で活発に動きたくなります。新しい部活に入り、クラスでは委員を引き受け、できるだけ多くの友だちをそれもできるだけ早くつくろうとする。そして、焦りすぎ自らつぶれていってしまう。私は、高校の教員時代、このような子どもたちを多く見てきました。
子どもたち、寒さでかじかんだからだを急に動かしたらどうなりますか。からだがぼろぼろになってしまいます。きちんとゆっくりからだを慣らさなくてはなりません。新学期の君たちも同じです。特にいじめや不登校で苦しんだ子どもたち、無理はしないこと。まずは、日々学校に通いながら、先生やクラスの仲間たちの話をゆっくり聞いてごらん。時にうなずき、時に哀(かな)しい顔で。ただし、毎日だれかに優しさを配りながら。クラスや人のために何かをしながら。そして、待ってごらん。必ず、君の周りに本当の優しさを持ったこころの友人が集まります。
-------------------------------(中日新聞2008年4月7日)---------------------
水谷先生のすごいところは、「自殺を防げなかったのは自分のせい」と背負い込みながらも人を励まし続けていることです。しかも病気の体で・・・。
私もある人からのコメントをいただきまして、苦しんでいます。自分のブログも開けない状態です。服用は続けてますが、向き合おうとすればするほど、苦しくなるのです。
「自殺しようとする人を助ける」のはものすごいエネルギーが必要です。私自身もここ3年位、「死んだら負け、生きてたら勝ち」と自分に言い聞かせてきました。高いところにも近寄ろうともしませんでした。発作が起きてからでは遅いからです。
私がどんな想いで「死と格闘してきた」かは誰も解らないでしょう。詳しくは気持ちの整理が出来てから改めて書きますが、自分が苦しんでいるからこそ、誰にも自殺はして欲しくないのです。
病気そのものが苦しいのではありません。「理解してくれない周りの人の言葉に苦しめられている」のです。水谷先生が救えなかった子供達もきっと同じ想いだったに違いありません。
「死んだらすべてが終わり」なのです。
「現地行かなければ何も始まらない」
伊藤さん入会動機全文
アフガン邦人拉致
ペシャワール会は27日、伊藤和也さんが2003年6月に書いたペシャワール会への入会動機を記した文章を公表した。全文は次の通り。
◇
私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。
私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
「アフガニスタンは、忘れさられた国である」
この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今ならうなずけます。
私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動をテーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。
私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。
反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。
私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。
私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。
子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。
しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。
2003年6月15日
-------------------(2008年8月28日01時31分 読売新聞)----------------------
口先だけなら誰でも何とでも言えます。しかし、安全な日本ですらボランティア活動ができない人が多いのに、まさに「命がけで善意の行動をしていた」伊藤和也さんは、「菩薩・仏」と呼んで恥じないのではないでしょうか?
何故なら菩薩とは、「皆が幸せになるまでは自分は成仏しない」と請願を立てた、と仏典では説かれているからです。
それにしても、悪人は生き延びるのに、善人は不慮の死を遂げなければいけないなんて、理不尽すぎませんか?
伊藤和也さんのご冥福をお祈りするとともに、間違いなく来世では、裕福な人生を送れる人として生まれ変わってくることと、私は確信しております。
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ベストサポート
アフガン邦人拉致
ペシャワール会は27日、伊藤和也さんが2003年6月に書いたペシャワール会への入会動機を記した文章を公表した。全文は次の通り。
◇
私がワーカーを志望した動機は、アフガニスタンに行き、私ができることをやりたい、そう思ったからです。
私が、アフガニスタンという国を知ったのは、2001年の9・11同時多発テロに対するアメリカの報復爆撃によってです。
その時まで、周辺国であるパキスタンやイランといった国は知っているのに、アフガニスタンという国を全く知りませんでした。
「アフガニスタンは、忘れさられた国である」
この言葉は、私がペシャワール会を知る前から入会している「カレーズの会」の理事長であり、アフガニスタン人でもある医師のレシャード・カレッド先生が言われたことです。今ならうなずけます。
私がなぜアフガニスタンに関心を持つようになったのか。
それは、アフガニスタンの復興に関係するニュースが流れている時に見た農業支援という言葉からです。
このこと以降、アフガニスタンに対しての興味を持ち、「風の学校」の設立者である中田正一先生の番組、偶然新聞で見つけたカレーズの会の活動、そして、カレーズの会の活動に参加している時に見せてもらったペシャワール会の会報とその活動をテーマにしたマンガ、それらを通して現地にいきたい気持ちが、強くなりました。
私は、関心がないことには、まったくと言っていいほど反応しない性格です。
反応したとしても、すぐに、忘れてしまうか、流してしまいます。その反面、関心を持ったことはとことんやってみたい、やらなければ気がすまないといった面があり、今回は、後者です。
私の現在の力量を判断すると、語学は、はっきりいってダメです。農業の分野に関しても、経験・知識ともに不足していることは否定できません。ただ私は、現地の人たちと一緒に成長していきたいと考えています。
私が目指していること、アフガニスタンを本来あるべき緑豊かな国に、戻すことをお手伝いしたいということです。これは2年や3年で出来ることではありません。
子どもたちが将来、食料のことで困ることのない環境に少しでも近づけることができるよう、力になれればと考えています。
甘い考えかもしれないし、行ったとしても現地の厳しい環境に耐えられるのかどうかもわかりません。
しかし、現地に行かなければ、何も始まらない。
そう考えて、今回、日本人ワーカーを希望しました。
2003年6月15日
-------------------(2008年8月28日01時31分 読売新聞)----------------------
口先だけなら誰でも何とでも言えます。しかし、安全な日本ですらボランティア活動ができない人が多いのに、まさに「命がけで善意の行動をしていた」伊藤和也さんは、「菩薩・仏」と呼んで恥じないのではないでしょうか?
何故なら菩薩とは、「皆が幸せになるまでは自分は成仏しない」と請願を立てた、と仏典では説かれているからです。
それにしても、悪人は生き延びるのに、善人は不慮の死を遂げなければいけないなんて、理不尽すぎませんか?
伊藤和也さんのご冥福をお祈りするとともに、間違いなく来世では、裕福な人生を送れる人として生まれ変わってくることと、私は確信しております。
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『生きてることが辛いなら』歌詞に賛否
8月27日にリリースする森山直太朗の16枚目のシングル『生きてることが辛いなら』(税込1100円)の歌詞について、賛否両論が巻き起こっている。
生きてることが辛いならの歌詞
賛否があるのは歌詞の一部「いっそ小さく死ねばいい」や「くたばる喜び」など、過激で斬新な歌詞について。インパクトのある歌詞に「どきっとした」「心にしみる」などの肯定的な意見がありつつも、一方では否定的意見も。森山本人としては、生命の尊さや輝きをテーマにしているそうだが、聴く人によって解釈の仕方がさまざまなのがこの曲の特徴のようだ(アメーバニュースより)
「言霊」というのがあります。「死ねばいい」とは絶対に言ってはいけない人が聴いてもし自殺したら、その責任は森山直太朗にあるといっていいでしょう。公共の場でハッキリと訴えてるんですから。
よく政治家が失言をして、後から「そういう意味では言ってない」と言い訳しても通用しないように、自殺者が出てから、「あれは自殺を促した歌ではない」と言っても通用しないのです。
受け取る側がそう受け取るよな「言霊」を発信してはいけないのです。でないと、いじめによる自殺が発生しても、「そんなつもりじゃなかった」でまかり通ってしまうことになります。
そこまでして「金儲け」したいのでしょうか?まぁ、人の心の痛みが解らない人が共感してるんでしょうね。
私はそんな人間にはなりたくありません。
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わが子を殺める母親
福岡小1殺害 なぜ母が子を…罪認め号泣
福岡市西区の公園で近くの同市立内浜小1年、富石弘輝(こうき)君(6)が殺害された事件は発生から5日目、母親が逮捕されるという、やるせない展開になった。子育てに熱心で、PTA役員も務めていた薫容疑者(35)。「なぜ、わが子を……」。関係者は言葉を失った。
◇事件後、遺体にすがる姿
「トイレに行った間に、子供の姿が見えなくなった!」。事件当日の18日、薫容疑者はそう言って、現場の公園にいた人たちに助けを求めた。約30分後、捜索に加わった人が、トイレの外壁と柱のすき間で息絶えた弘輝君を見つけると、顔が黒ずんだ弘輝君にすがりついて泣いた。救急車で病院に向かう間は、ずっと弘輝君の名を呼び続けた。20日の葬儀では出棺前、薫容疑者が弘輝君の頭をなで続ける様子が参列者の涙を誘ったという。
弘輝君は軽度の発達障害があったとされ、小学校では特別支援学級に通っていた。同級生の母親は入学式の後のクラス懇談会で、あいさつした時のことをおぼえている。「(薫容疑者は)最後にあいさつし『うちの子は落ち着きがないところがあるので、迷惑をおかけすることがあるかもしれません』と泣き出しそうな顔で話していた」という。
学童保育を通じ薫容疑者と付き合いがあった保護者は「子育てにはご苦労されていた。2学期から『子供と一緒に過ごしたい』と(会社事務の)仕事を休業し、学童保育には来なくなっていた。相談できる人がいなかったのではないか」と話す。
薫容疑者は事件後、福岡県内の実家に身を寄せていた。22日午前8時過ぎ、ワンボックス型の捜査車両が到着し捜査員数人が入って任意同行を求めた。玄関を出た薫容疑者は草色のパーカを着て顔をすっぽりと覆い、うつむいて重い足取りで車に乗り込んだ。
弘輝君の葬儀翌日の21日、福岡県警の捜査員は任意の事情聴取で薫容疑者に「本当のことを聞きたい」と告げた。「私がやりました……」。薫容疑者はそう打ち明けると、せきを切ったように号泣したという。やがて落ち着くと、自分が病気であることや、子育てに悩みがあって将来を悲観していたことなどを語り始めたという。
調べに対し、薫容疑者は弘輝君の首を絞めて殺害したことを認めた上で、「育児に悩んでいた。自分の病気のこともあり将来を悲観し、子供を殺して自分も死のうと思った。衝動的にやった」などと供述。捜査本部は犯行前後の行動など全容解明を急ぐ。
捜査関係者によると、薫容疑者は病気で、トイレを利用する際は弘輝君が介助していたという。事件当日も頼んだが、弘輝君は機嫌が悪く、「なぜ、授業参観などに来てくれないのか。病気のお母さんなんかいらない」などと言われたという。
知人らによると、薫容疑者は市内の小、中、高校を卒業。結婚後は夫の実家で同居し、弘輝君を出産した。しかし、当時を知る近所の住人は、まだ幼い弘輝君が家の近くで一人で遊ぶ姿を目にしていた。「母親は体が弱く、4年ほど前に自分の実家に帰ったようだ」と話した。別の知人は、弘輝君の小学校入学に備えて今年2月ごろ、現在の住所に引っ越してきたと語る。
薫容疑者は夫(33)と、弘輝君の3人暮らし。薫容疑者は仕事をしていたため放課後は学童保育を利用して弘輝君を預けていたが、今年夏ごろに仕事を辞め、利用できなくなったという。
弘輝君と同じ小学1年の息子を持つ大学職員の男性(49)は5月、学童保育で悩みを打ち明けられた。「子供が元気よすぎてコントロールが利かない。自分が病気だから面倒を見るのが大変」。近所に同学年の友達がおらず、遊ばせることができないのではと心配し、一緒の登校を持ち掛けた。しかし、実現したのは2、3回だけだった。
男性は「いろいろと周りの助けが必要な方だったと思う。子供を預けられなくなり、苦労されたのでは」と話す。
--------------------------------(9月22日 毎日新聞)------------------------
人を殺すことは良くないことです。例え親ですら、子供の命を奪う権利はありません。
ただ、残念でならなのは、この子の母親に相談相手がいたら、この事件は起きなかったと思います。心身共に病んでいたのでしょう。その時には、正常な判断は出来ないものです。
特に本人も自殺をしようと考えていたのなら、なおさらです。極悪な犯罪の中に混じって、犯罪を犯した本人も犠牲者と言うべきパターンも増えてきたような気がします。
社会全体が病んできている証拠なんですよね。夜回り先生こと水谷先生は、子供達を救おうと尽力されてますが、子供達が何らかの犠牲になる時は、大人達が病んでいる場合が多いのです。
大人達のケアから必要なのかもしれません。
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ルワンダ大虐殺
概要
ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であったが、植民地下で少数派であるツチを君主、及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ多数派のフツとごく少数のトゥワはより差別を受けるようになった、1962年の独立の前にツチとベルギー当局との関係が悪化し、ベルギー当局は国連からの関係改善の勧告を無視し、社会革命としてフツによる体制転覆を支援成立した。
ツチは報復を恐れて近隣諸国に脱出したが、1973年にジュベナール・ハビャリマナがクーデターを起こすと、反ツチ傾向がより強められた。ウガンダのツチ系難民がルワンダ愛国戦線 (RPF) を組織して、ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させることになる。
1990年10月にはRPFがルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発。
1993年8月にRPFの猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者か(「フツの過激派による犯行」と「ツチの犯行」の二説有り)に撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺(ジェノサイド)が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも80万 - 100万人が虐殺が行われたとされている。
1994年7月にRPFがツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(現大統領)として新政権が発足。紛争は終結した。
ジェノサイド事件については、直前のソマリア内戦の介入で失敗した国際連合(とその中核となるアメリカ合衆国)が「ソマリアの二の舞」になることを恐れる余り慎重な態度を取り、結果的に国際的な対処が遅れ被害を拡大したという見方が強い(仮に国連軍が展開されていればツチの死者の何割かは救えたと言われる)。
あまり指摘されないが、フランス政府が、虐殺側に立ったフツの援助を組織的に行っていた(フランス軍の展開、武器援助等)事など、冷戦時代からの名残を引きずった西欧諸国の思惑がさらに事態の鎮圧を遅らせていたという面もある(その一方で、アメリカは早くからRPFに接近しており、内戦が本格化する以前からカガメと接触していた)。なお、ルワンダ政府は、後にカガメを戦争犯罪者として告発を企図したことなどを理由にフランスと国交断絶している。
この紛争では、ラジオ放送がツチへの敵愾心を煽る放送を流したことが、一般人までもが虐殺に荷担してしまったことにつながった。
[編集] 両民族の軋轢
フツとツチは元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。国土の殆どが農作業にはあまり向かない痩せた土地であり、農耕業が主だったフツには貧困が蔓延していた。逆に遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。
しかし、ベルギー人をはじめとする白人が植民地支配がはじまるとこの対立が目をつけられ、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が強められた。そして、ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系であるという人種概念を流布、ハム仮説)」、対するフツなどは「野蛮」であるという神話を広め始めると、ツチとフツは大きく対立し始めた。
長らく、ツチの支配が続いたが、植民地支配が終わると数で勝るフツ族が優勢になり、立場は逆転した。
------------------------(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)---------
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ルワンダは第一次世界大戦まではドイツ、第一次世界大戦以降はベルギーの植民地であったが、植民地下で少数派であるツチを君主、及び首長等の支配層とする間接支配体制が築かれ多数派のフツとごく少数のトゥワはより差別を受けるようになった、1962年の独立の前にツチとベルギー当局との関係が悪化し、ベルギー当局は国連からの関係改善の勧告を無視し、社会革命としてフツによる体制転覆を支援成立した。
ツチは報復を恐れて近隣諸国に脱出したが、1973年にジュベナール・ハビャリマナがクーデターを起こすと、反ツチ傾向がより強められた。ウガンダのツチ系難民がルワンダ愛国戦線 (RPF) を組織して、ウガンダを拠点にフツ族のハビャリマナ政権に対する反政府運動を活発化させることになる。
1990年10月にはRPFがルワンダ北部に侵攻し、内戦が勃発。
1993年8月にRPFの猛攻と国際世論の高まりにより、アルーシャ協定が結ばれ、和平合意に至ったものの、1994年4月6日にフツのジュベナール・ハビャリマナ大統領とブルンジのシプリアン・ンタリャミラ大統領を乗せた飛行機が何者か(「フツの過激派による犯行」と「ツチの犯行」の二説有り)に撃墜されたことに端を発して、フツによるツチの大量虐殺(ジェノサイド)が始まり、一説には約100日間で国民の10人に1人、少なくとも80万 - 100万人が虐殺が行われたとされている。
1994年7月にRPFがツチ系の保護を名目に全土を完全制圧し、フツのパステール・ビジムングを大統領、ツチのポール・カガメを副大統領(現大統領)として新政権が発足。紛争は終結した。
ジェノサイド事件については、直前のソマリア内戦の介入で失敗した国際連合(とその中核となるアメリカ合衆国)が「ソマリアの二の舞」になることを恐れる余り慎重な態度を取り、結果的に国際的な対処が遅れ被害を拡大したという見方が強い(仮に国連軍が展開されていればツチの死者の何割かは救えたと言われる)。
あまり指摘されないが、フランス政府が、虐殺側に立ったフツの援助を組織的に行っていた(フランス軍の展開、武器援助等)事など、冷戦時代からの名残を引きずった西欧諸国の思惑がさらに事態の鎮圧を遅らせていたという面もある(その一方で、アメリカは早くからRPFに接近しており、内戦が本格化する以前からカガメと接触していた)。なお、ルワンダ政府は、後にカガメを戦争犯罪者として告発を企図したことなどを理由にフランスと国交断絶している。
この紛争では、ラジオ放送がツチへの敵愾心を煽る放送を流したことが、一般人までもが虐殺に荷担してしまったことにつながった。
[編集] 両民族の軋轢
フツとツチは元々は同じ言語を使い、農耕民族であるか遊牧民族であるかという違いでしかなく、貧富の差がそれぞれの民族を形成するなど両者の境界は曖昧であった。国土の殆どが農作業にはあまり向かない痩せた土地であり、農耕業が主だったフツには貧困が蔓延していた。逆に遊牧業が主な生業であったツチは、牛を多数所有するなど比較的豊かであった。
しかし、ベルギー人をはじめとする白人が植民地支配がはじまるとこの対立が目をつけられ、鼻の大きさや肌の色などを基準に境界が強められた。そして、ツチは「高貴(ハム系あるいはナイル系であるという人種概念を流布、ハム仮説)」、対するフツなどは「野蛮」であるという神話を広め始めると、ツチとフツは大きく対立し始めた。
長らく、ツチの支配が続いたが、植民地支配が終わると数で勝るフツ族が優勢になり、立場は逆転した。
------------------------(出典: 『ウィキペディア(Wikipedia)』)---------
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ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送
ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送 1
ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送 2
ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送 3
ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送 4
ルワンダ虐殺と煽動ラジオ放送 5
何故人は殺しあわなければならないのでしょうか?
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インドネシア独立戦争
大東亜戦争の終結後も、インドネシアの再植民地化を執拗に試みる欧米の軍隊。しかし、 日本軍の残した精神的遺産と日本軍の軍政の成果によって、インドネシアの人々は、欧米 の植民地であった時とは、大きく変わっていた。
イギリスやオランダの植民地主義に徹底的に抗戦し、ついに独立を勝ち取ったのです。しかし、そのために「80万人もの尊い命」を失ったのです。
そしてその独立が、他のアジアやアフリカの独立に影響を与えたのです。
欧州の繁栄はそもそも、アジア、アフリカの犠牲の上になりたっています。だとすれば、今度は「アジア・アフリカの為に欧州が犠牲になるべき」です。
生活水準を「アジア・アフリカ並みに落とせばいい」のです。そうすれば、どれだけ自分達の行為が愚かだったかが解るでしょう。
軍事産業の発展が必要なら、欧州内で勝手に武器を消費すればいいのです。そうすればあらたな需要が発生することでしょう。
未だにアフリカの犠牲の上に繁栄しようとする欧州。これは「精神文化水準はアフリカより低い証明」ですよね。
誰人たりとも、他の人の犠牲の上に自分の幸福を築いてはいけないのです。もしかして、その考えはキリスト教の教えなんでしょうか?大洪水で人類を滅ぼしたとされるほど人殺しが好きなキリストの神を信じていれば、当たり前なのかもしれませんね。
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東アフリカの食料危機
浮気繰り返す妻に、夫が木の棒で…
毎晩帰宅が遅い上、「愛している」と書かれた携帯電話のメール、そして車の灰皿に残された見慣れない銘柄のたばこの吸い殻…。男は妻の浮気を確信し、激しい殺意を向けた。
大阪府内の自宅で30代の妻を殺害したとして、殺人罪に問われた元会社員の男(40)に10月30日、大阪地裁は懲役11年(求刑懲役13年)の実刑を言い渡した。
5年前にも浮気が発覚した妻。男は浮気を繰り返す妻にほとほと愛想をつかし、怒りを抑えられずに、3人の子供たちの前で妻を殺害した。凶行に使われたのは、子供の“遊び道具”だった。
× × ×
検察側の冒頭陳述などによると、男が保険外交員の妻と結婚したのは10年前。小学生の長男と次女、幼い次男の3人の子供のほか、妻の実父と同居していた。
男の悩みは妻の「浮気癖」だった。
今年春ごろから、妻は仕事上の付き合いや友人とのカラオケなどと言い訳し、帰宅時間は午前0時以降になっていた。午前3時ごろになることも頻繁にあったという。
男が妻の浮気を確信したのは事件の約1カ月前の6月。妻の携帯電話のメールをこっそり見たからだ。メールの中に男性の名前で「愛している」との内容を見つけ、追及すると妻は浮気を認めたという。
話し合いの末、離婚して男が子供3人を引き取ることで合意。夏休みを待って男が実家に子供を連れて帰り、離婚手続きを始める予定だった。
事件は、妻との別居が始まる夏休み直前の7月19日早朝に起きた。
前日夜も妻は午前0時を過ぎたころに帰宅。午前6時ごろに目覚めた男は立腹し、浮気相手の男性に会うと言い出したことから口論となった。
妻が「男性に会うなら子供を連れて心中する」と騒ぎ出し、寝ている子供を起こそうとしたのを見て男は逆上した。子供が外から自宅に持ち込んでいた長さ約50センチの木の棒を握りしめ、妻の頭に数回振り下ろし、さらにネクタイで首を絞めて殺害した。
× × ×
10月16日に開かれた初公判。男は丸刈り頭にメガネをかけ、物静かでまじめそうな容姿だ。罪状を認めた後、弁護側の被告人質問に答えた。
弁護人「妻の浮気に気付いたのはなぜ」
男「帰りが遅く、私がメールを送っても返事がないことが多くなって。妻の携帯メールを見たら、男性からのメールに『愛している』と書いていたので」
弁護人「メール以外は」
男「妻の車を見たらビールの空き缶が転がっていて、私が吸わないたばこの吸い殻もあった」
弁護人「以前にも(妻は)浮気していたようだが、そのとき気付いたことは」
男「同じように夜が遅く、妻の車がラブホテルに入っていくのを見たこともありました」
弁護人「今回離婚を決めたのはなぜ」
男「2回目の浮気ですし、将来またやったら限界かな、と」
弁護人は妻を殺害した理由も詳細に質問した。
弁護人「子供を連れて心中するといわれ、木の棒で殴ろうとした理由は」
男「ほんまに連れて行こうとしていたから」
弁護人「棒で殴ったところを子供に見られたんですね。そこでやめようと思わなかったのか」
男「見られた瞬間ハッとして、すべてが終わってしまったような気になって」
子供たちは妻の叫び声で目を覚まし、男が棒で殴りつける様子を呆然(ぼうぜん)とみていたという。
頭から血を流している妻の目の前で泣いている子供たちを見た男は、「もう自分についてきてくれない」と感じて自暴自棄になり、殺害を決意した−と供述した。
続いて検察官が強固な殺意など悪質性を浮かび上がらせようと、犯行当時の心境を問いつめた。
検察官「木の棒で殴ったのは奥さんが子供を連れて死ぬと言い出したからか」
男「はい」
検察官「素手で殴るとかは考えなかったのか」
男「頭に浮かばなかった」
検察官「棒で殴って奥さんをどうしようと思った」
男「その時は(妻を)止めることしか頭になくて」
検察官「子供を連れ出そうとする女の人を男の人が止められないわけないですよね」
男「…」
検察官「頭を狙って棒を振り下ろしたんですね」
男「結果的に頭に当たった」
検察官「頭をはずそうとは思わなかったのか」
男「どうしていいかわからず…」
検察官「拳で殴るぐらいでは気が済まなかったのですね」
男「…」
検察官「ではネクタイで首を絞めたのはなぜ」
男「まだ妻の息があったので…」
× × ×
10月30日に開かれた判決公判。裁判長は「短絡的で、前途ある妻を殺害した罪は重い」と指弾しつつも、「浮気を繰り返し、家族を顧みない妻に抱いた怒りは理解できる」。事件の発端が妻の浮気にあることを指摘、男の心情に一定の理解を示した
--------------------------------(11月3日 産経新聞)------------------------
痛ましい事件である。離婚後、3人の子供を引き取ることになっていた男。公判に出廷した男の父の証言によると、男は子煩悩で良い父親だったそうです。
それが何故こんなことに?
夫婦のことはなかなか他人には解らない。しかし、ご主人は奥さんの浮気を憎んでいたに違いありません。
もちろん殺人はいけません。しかし、そこまで追い込まれた人間を、責める資格があるでしょうか?裁判長も、事件の発端が妻の浮気にあることを指摘、ご主人の心情に一定の理解を示しています。
それにしても一番可哀想なのは子供達です。一番の犠牲者です。子供達の受けた心の傷は一生、癒えることはないでしょう。
なんともやりきれない事件でした。
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生と死の狭間の中で
「自殺大国」日本…団塊世代リタイア後に増加 20年度版白書
政府は31日午前の閣議で、平成20年版「自殺対策白書」を決定した。19年の自殺者数は前年比938人増の33093人で過去2番目の多さとなった。いわゆる熟年離婚したり、団塊世代で退職したりした壮年以上の男性自殺者が増加したことが一因とみられている。年間の自殺者数は10年連続で3万人で推移しており、政府は同日、自殺予防への重点施策を盛り込んだ「自殺対策加速化プラン」を策定した。
白書によると、19年の男女別の自殺者の内訳は男性23478人(前年比665人増)、女性9615人(273人増)。原因や動機は「健康問題」(14684人、63.3%)が最多で、「経済・生活問題」(7318人、31.5%)、「家庭問題」(3751人、16.2%)が続いている。
年齢層でみると、男性は55〜64歳、女性は75歳以上が最も多い。職業別では「無職」が57.4%と半数以上を占め、次いで「被雇用者・勤め人」(27.7%)、「自営業・家族従事者」(9.9%)、「学生・生徒など」(2.6%)−となっている。
場所は「自宅」(54.7%)、曜日は「月曜日」が最多で、時間帯では、男性が早朝の午前5〜6時台、女性は昼下がりの午後2〜4時台に頻発している。人口10万人あたりの自殺者数を示す「自殺死亡率」は23.7で世界8位だった。主要7カ国(G7)では男女ともに日本がトップで、「自殺大国」日本の実態が改めて浮き彫りになった。
19年で顕著だった自殺の傾向について内閣府は「団塊の世代の自殺者が増えている。退職や熟年離婚などで配偶者や友人、職を失う『喪失体験』が自殺の原因の一つではないか」と分析している。
---------------------------(10月31日 産経新聞)---------------------------
何故日本は自殺が多いのだろうか?それは、念仏思想とも深く関係があると思われる。念仏は「来世での成仏を願う」思想である。現世での幸せを諦めているのだ。
亡くなられた方を「仏さんになった」と呼ぶのも念仏思想から派生したのだろう。しかし、「死ねば仏になる」とは釈迦は説いていない。それは後世の人間の戯言でしかないのだ。
自殺をしても実は何も解決しない。その苦しみから一時的の逃れたように思えても、来世、つまり生まれ変わった人生でまた、同じ事で苦しまなければならないのだ。
もしかしたら、前世で解決しなかった苦しみを現世で味わっているのかもしれない。
借金には「破算宣告」があるのかもしれないが、人生にはないのだ。永久について回る。自分の人生は自分で解決しない限り、何も変わらないのだ。
だから、「自殺なんかしないで欲しい」。だって皆いずれ死ぬんだから・・・。死ぬ気で生きれば、きっと経験した事のない楽しみも体験することができるはずです。
死ぬ時は「人生に悔いが無いように死にたい」もんですね!
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何故死んではいけないのか?(2)
死んだらアカンよ-東尋坊「命の番人」
観光の名所でありながら、自殺スポットになっている場所があちらこちらにある。そこで自殺をしようとする人を直前で食い止めてる人がいるのだ。
行政に対応してもらおうと何箇所も回っても相手にしてもらえず、「死ぬならどうぞ!」とさえ言われ、いよいよ自殺しようとした時に相談に乗ってもらい、自殺を思いとどまった人もいるのです。
『私は今、死にたいけど死ねない。死にたくないけど死にたい。ただ生きているだけで、生と死の狭間をさまよっているだけです。私には太陽はもう昇りません。希望の光も差しません。』
これが心の叫びなんです。この人達に同苦できない人が、今の世の中、多いのです。
ギャンブルが原因で借金を抱え、高利貸しからの取立てに悩み、自殺しようとした人もいるのだ。運良く彼と知り合う事ができ、よく調べてみると「過払い」ということが解り、法律相談所で解決してその人は、自殺をしなくて済んだのです。
とはいえ、体は一つ、目が届かないうちに自殺した人がいた現実をまの当たりにしたりもするのです。
一方で、経営者が経営不振で自殺しようとさまよってたりもします。そんな経営者も彼から優しい言葉をかけてもらううちに、自殺を思いとどまったのです。
彼の目から見れば、自殺しそうな人は、荷物や動きで解るんだそうです。そんな人にそっと声を掛けてあげるのです。
『早まったことをしたらアカン!』
鬱病、リストラ、離婚を経験し、死に場所を探して4ヶ月も車で寝泊りしながらさまよっていた人もいました。その人もやがて落ち着きを取り戻し、布団に寝る生活にもどったそうです。
失業などが原因で、親から押し付けられたことへの確執から自殺しようとした青年もいました。その青年と一緒に実家迄行き、ご両親と話しをしたことによって、落ち着きを取り戻したのです。やがてその青年は面接をうけ、社会復帰を見事に果たしたのです。
日本の自殺者は年間3万人以上です。アメリカの2倍、イギリスの3倍もの数です。自殺対策で国家レベルで取り組んでいるフィンランドは、30%も減少させることに成功しました。
しかしわが国では、民間ボランティアなどにたよっているのが現実です。国家レベルで早く対策を立てて欲しいものです。その財源は、まともな対応もせず、「死ぬならどうぞ!」などと平気で言うような公務員を辞めさせればいくらでも捻出できるでしょう。そんなノー天気な公務員なら、失業しても自殺することはないでしょうから・・・。
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自殺防ぐ光の設置を!!
「青い光」で飛び込み防げ!京急・弘明寺駅、設置後ゼロに
自殺防止でホームに設置された青い照明(5日、横浜市の京急・弘明寺駅で)
防犯効果があるとして街路灯に用いられるようになった「青色照明」を、鉄道会社が踏切や駅ホームに、飛び込み自殺防止の目的で導入する動きが広まっている。
実際に自殺防止に役立つかどうかは専門家の間でも意見が分かれているが、すでに青色照明を設置している鉄道会社は「それまで毎年起きていた自殺がゼロになった」などと効果に手応えを感じている。
京浜急行は今年2月、横浜市南区の弘明寺駅で、ホームの端の照明8基を青色に変えた。同駅では前月の1月、ホーム端の人けのない場所で2日続けて夜間に飛び込み自殺があった。同駅は、未遂も含め、毎年2、3件の飛び込み自殺が起きており、「自殺を1件でも減らすため、できることはなんでもしてみようと、わらにもすがる思いで始めた」(同社鉄道本部安全対策担当)という。
同社によると、同駅では青色照明設置後、飛び込みは起きていない。
JR東海も今年8月以降、愛知や岐阜、三重県で、東海道線や中央線などの踏切計10か所に試験的に青色照明を設置し、効果を探っている。JR東日本やJR九州でも、導入に向けた検討を始めている。
鉄道会社の中で青色照明をいち早く導入したのはJR西日本だ。車が強引に踏切を渡るケースが後を絶たず、頭を悩ませていた同社は、2006年12月以降、大阪府と和歌山県を結ぶ阪和線などの踏切計38か所に青色照明を設置。その結果、夜間の車の踏切事故がゼロになり、飛び込み自殺もなくなったという。
国土交通省の調査では、07年度に全国の鉄道で起きた飛び込み自殺(未遂含む)は640件で、前年度より約2割(106件)増えている。鉄道各社によると、飛び込み自殺が多いのは夜間だといい、JR西は青色照明による自殺防止について「一定の効果があることは間違いない」(広報担当)と自信を見せる。
防犯や自殺防止だけではない。東名高速東京インター付近では01年から、事故防止を目的に上下線1・8キロにわたって青色照明計152基を設置。「『落ち着く』『冷静』というイメージをドライバーの感性に訴えることで、安全運転を促すのが狙いの一つ」(中日本高速道路)としている。
同社が名神高速・養老サービスエリアのゴミ箱近くの照明を青色に変えたところ、家庭ゴミの不法投棄が2割以上減少したともいう。
青色照明の効果について、慶応大の鈴木恒男教授(色彩心理学)は「青色を見ると落ち着くという実験データはあるが、珍しい色だから人目につくため、犯罪や自殺を避けようという意識が働くことも考えられる。ただし、明かり一つですべて食い止められるという過大な期待は禁物」と話す。
◆青色照明◆ イギリス・グラスゴー市が2000年、景観改善のために街路灯に導入、犯罪発生件数が減少したことで注目を集めた。日本では05年に奈良県警が導入を進めたところ、1年後に周辺の夜間の犯罪認知件数が約9%減少。その後も、北海道から沖縄県まで各地で防犯灯として取り入れられるようになった。
-----------------------------(12月10日 読売新聞)-------------------------
照明の色一つで尊い命が救えるのであれば、是非全駅に設置して欲しいものです。死んでしまってからではもう遅いのです。残された家族の悲しみ、それに加えて多大な損害請求金額と二重の苦しみが遺族を襲うのです。
自殺に良し悪しはないのですが、死ぬ時、死んだ後まで人様に迷惑をかけるような死に方はして欲しくないです。どうせ誰も一度は死ぬのですから・・・。
新しい命の誕生
2008年9月〜
報道
時期 記事 タレント名
12月10日 長谷川京子が来年6月末にも出産 長谷川京子(女優)
12月10日 コブクロ・小渕に双子が誕生 小渕健太郎(コブクロ)
12月9日 ケミストリー堂珍、来春にも第3子誕生へ 堂珍嘉邦(ケミストリー)
12月2日 『DEATH NOTE』夜神月役などの人気声優・宮野真守が“おめでた婚”を発表 宮野真守(声優)
12月1日 女子レスリング元世界の山本美憂が第3児となる女児を出産 山本美憂(スポーツコメンテーター)
11月17日 ペナルティ・ワッキーに第1子が誕生 丸2日の難産だった ワッキー(ペナルティ)
11月15日 真木よう子が入籍&おめでた「今まで通り、自分らしく生きて行けたら」 真木よう子(女優)
11月12日 JRA騎手の池添謙一とタレントの堀あかりがオメデタ婚 池添謙一(JRA騎手)
堀あかり(タレント)
11月10日 坂下千里子が第1子の女児出産「とっても愛しい」 坂下千里子(タレント)
11月8日 女優・濱田万葉が第1子女児出産 濱田万葉(女優)
11月8日 IZAMと吉岡美穂に第2子女児誕生 IZAM(歌手)
吉岡美穂(タレント)
11月3日 のだめ作者・二ノ宮知子が男児を出産 二ノ宮知子(漫画家)
10月24日 佐々木恭子アナ、生放送で再婚&オメデタ報告 佐々木恭子(アナウンサー)
10月17日 ダイノジ・大地洋輔に、第1子誕生 大地洋輔(ダイノジ)
9月25日 ユンソナが第1子の男児を出産「涙が止まりませんでした」 ユンソナ(タレント)
9月21日 銀杏BOYZのチン中村に第1子となる女児が誕生 チン中村(銀杏BOYZ)
9月18日 ケミストリー・川畑要に第1子となる女児が誕生 川畑要(ケミストリー)
9月16日 ドラえもん声優・水田わさびが第2子となる女児出産 水田わさび(声優)
9月15日 IZAM・吉岡美穂、11月に第2子出産予定 IZAM(歌手)
吉岡美穂(タレント)
9月11日 フジテレビ伊藤利尋アナに長男誕生 伊藤利尋(アナウンサー)
9月10日 宅間孝行・大河内奈々子夫妻に第1子誕生 宅間孝行(俳優)
大河内奈々子(女優)
▽芸能人だからといって特別扱いはしないが、「新しい命が誕生し、育まれていく」ことは、とても素晴らしいことだし、どうかその子達が元気に育ってくれたらいいな、と心から思います。
だれの子供であれ、どこの国の子供であり、子供は人類の宝なのです。希望なのです。子供達が元気に育ってくれれば、人類に未来は明るいのです。
ところが、その子供達を食い物にしている大人達のなんと多いことか・・・子供達から未来を奪う大人達が許せません!
子供達が安心して生きていける社会を構築しなければならないのです。
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「死刑囚に会うの無理ですか」娘を奪われつらさ伝えたい遺族
真っ黒に焼けた正恵さんの遺品。初めて買ったブルガリの腕時計は、死亡推定時刻で針が止まったまま
24歳の娘の命を奪った男の死刑が確定して、1年9か月が過ぎた。
世間が事件を忘れても、遺族にとって、8年半前のあの日から、時間は止まったままだ。遺体とともに警察から返されたブルガリの腕時計は、ガラスの部分がすべて溶け落ち、焼け残った針が死亡推定時刻の午後10時57分を指している。
正恵さんは生きていれば32歳。61歳の父と59歳の母は毎朝、毎晩、仏壇にご飯を供え、話しかける。「結婚して子供がいたかもしれないね。孫と一緒に旅行もしたかった」
事件のことばかり考えてはいけないと思いつつ、心から笑うことができなくなった。自分たちだけ楽しんでいいのかという思いが、いつも先に立つ。旅行にも行けない。「犯人を憎むことが生きがいになってしまった」と父は言う。
◆
2000年6月11日午後11時すぎ、帰りの遅い正恵さんを心配した父は、勤務先だった宇都宮市の宝石店「ジュエリーツツミ宇都宮店」へ車を走らせた。近くまで行くと、消防車やパトカーが何台も見えた。真っ黒になった店から炎が噴き出していた。
司法解剖を終えた正恵さんの遺体は、頭からつま先まで白い布でくるまれ、ビニール袋で覆われていた。損傷がひどく、歯の治療痕で本人確認したと聞かされた。
就職して約2年。接客が大好きで、「自分が勧めた指輪をお客さんが買ってくれた」とうれしそうに話してくれた。「絶対にブルガリがいいんだ」と、給料をためて買ったお気に入りの腕時計をして出勤していた。
「熱かったね、苦しかったね」。父はそう声をかけるのが精いっぱいだった。死に顔を見ることも、抱きしめてやることもできなかった。
------------------------------(12月12日 読売新聞)-------------------------
こんな事件を聞く度に、なんとも言えない怒りがこみあげてくるのは、私だけでしょうか?何故人の命を奪う権利があるんだ!
自分がガソリン被って火をつけてみてから、大丈夫だったら人にしろ!まず自分で実験してみやがれってんだ。
何の罪もない人を殺し、多くの遺族を絶望に追い込んだ犯人が許せません。この犯人も、どうせ死刑囚なんだから、「火あぶりの刑」でいいんじゃない?被害者の気持ちが解るように、じっくり火で焼いてもらえばいいのです。犯人にとっては、所願満足に違いありません。
今世では死刑で済むけど、生まれ変わったら、その報いを受けるのは犯人なのです。自分で選んだ人生ですから、その苦しみを何回生まれ変わっても味わい続けなければならないのです。前世のことなど記憶にない犯人は、地獄の人生が待っているでしょうね。自業自得なのですから、楽しみにして生まれ変わってください。
遺族の方には、かけてあげられる言葉が思いつきません。一緒に悲しんであげられることしかできないのです・・・。
“徘徊”の母救おうと…娘も電車にはねられ死亡
15日午後3時20分頃、埼玉県春日部市緑町の東武野田線の踏切で、同市粕壁東、坂本愛さん(93)と長女の靖江さん(65)が下り普通電車(6両編成)にはねられ、死亡した。家族によると、愛さんは4か月ほど前から徘徊(はいかい)などが目立つようになったという。春日部署の調べに運転士は「娘が母親を引き戻そうとしていた。ブレーキをかけたが、間に合わなかった」と話しており、同署は、靖江さんが愛さんを救出しようとして、2人とも逃げ遅れたとみて調べている。
発表によると、愛さん宅は5人暮らし。踏切は自宅から約200メートル先にあり、幅は単線で約5メートル。警報機、遮断機とも付いていた。
事故前の午後2時頃、春日部駅前の交番を訪れた愛さんが意味不明の発言を繰り返していたため、交番が自宅に連絡。午後3時過ぎ、同署の車で2人を自宅に送り届けた後、愛さんがまた自宅を出たらしい。
事故直前に現場を通りかかった男性(76)によると、靖江さんは、踏切を渡って自宅と反対方向に向かった愛さんを追いかけていたといい、その後、2人は再び踏切に入り、はねられたとみられる。
東武鉄道によると、上下線計12本が運休し、2250人に影響が出た。乗客にけがはなかった。
---------------------------------(2008年12月15日 読売新聞)---------------
本当に気の毒な事故です。本人は死ぬ気もないし、娘さんも何とか助けたかったと思うのです。これも「老老介護の犠牲者」なのかもしれません。
「介護に疲れた」といって殺したケースではないものの、これからもこんな痛ましい事故が増えるかもしれません。これらを防ぐために、社会は何をしなければならないのでしょうか?あなたも私も今、考える時が来ていると思うのです。
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いじめの事実、父は後で知った
中3男子、14歳 目の下に傷…/
「遺書」。大きな二文字は、黒のボールペンで一画一画、何度もなぞってあった。十四歳、中学三年だった少年は、B5判のノートに最後の言葉をつづった。
『僕の分も長く生きて下さい。こんな自分をゆるして下さい。すいませんでした。僕が死んだのは五月十四日です』。家族あての手紙には謝罪の言葉が並ぶ。
友人の一人にも別れを告げた。
『おまえは本当にいいやつだった。おれのなやみをきいてくれて最高だよ。一番の親友だ』
遺書は、自宅の仏壇にしまっている。
「あの日に目を通して以来、一度も見ていないんです。読むと、辛くなってしまって…」。父は唇をかみしめた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
二〇〇〇年五月。少年が自室で首をつっているのを、家人が見つけた。
「殴られたり無視されたりするので、学校に行きたくない」。死の前日、宇都宮市内の中学校に通う少年は友人に打ち明けていた。
同級生からの暴行−。この事実を父は死後に知った。
中学二年の三学期、遅刻や欠席が急に増えた。所属したサッカー部は一年足らずで辞めた。
評判の良くない同級生グループと付き合い始めたころだった。
「学校に行ったか」。父は仕事場から、自宅にいる祖母に確認することもあった。
末っ子でおとなしく、無口だった少年。だが態度に生意気さも目立ち始め、親子の会話は減った。「反抗期か」。そう感じもしたが、三年になると学習塾通いも始めた。
死の数日前。「その傷はどうしたんだ」。目の下の傷に気づいて父が尋ねると、「友達と遊んでいて石にぶつかった」と答えた。何げない態度に見えた。
だが、同じ日、少年は姉にだけ本当の理由を明かしていた。「暴力を受けたんだ」。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少年の死後、宇都宮市教委は調査に乗り出した。前年にも県内の中学三年の男子生徒がいじめを苦に自ら命を絶っていた。
同級生らの数回にわたる暴行、恐喝。調査委員会は一連の加害行為を「いじめの一種」と認定し、学校や家庭に「子どもたちの問題を敏感にとらえる必要がある」などとする提言をまとめた。抽象的な文言だった。
加害少年らも暴行容疑などで立件され、家庭裁判所から保護観察処分を下された。
「同級生はもう成人している。加害者らは仕事をしているだろうし、結婚もするだろう。がんばってくれとしか言えない」。父の胸中は、今も複雑なままだ。
少年が小学五年の時、母親が病死した。それ以来、祖母が少年の母親代わりだった。
「男親には悩みを言えなかったのかもしれない。息子の変化を見抜くこともできなかった。仕事中心の私の生活が、悪かったのだろうか。学校も何か防ぐ手だてはなかったのか」
いじめ自殺は、今も後を絶たない。
------------------------------(下野新聞 2007/09/15)------------------------
未来ある子供達が自殺するしか方法のない現実・・・。いじめは誰が何と言おうと100%「苛めた方が悪い」のである。何故なら誰も「自分を苛めてくれ」と頼んでいないからだ。
子供を失った親は一生涯苦しみ続けるしかない。しかし、加害者の方はおそらく、記憶の片隅にもないだろう・・・万分が一も苦しみを味わうことはないのだ。
こんな理不尽な世の中を、どうしたら変えれると、あなたは思いますか?
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